先生、講師の適性とは?
●先生になるのに、適性はありますか?
こんにちは。伊賀明美です。
さて、この間、先生になろうかなと考えている方から、こんなことを聞かれました。
「先生になるのに、適性はありますか?」
みなさんはどう思われますか?
私は、適性はあると思います。
でも、最初からできている人は、ほとんどいないんじゃないかな。
ということは、学ぶ気があるなら、最初に適性がなくてもできるようになると思います。
私のようなフリーランスの講師の場合、適性には、2つの側面があると思います。
1つは、経営者としての適性。
仕事は与えられないんです。
だから、自分で、作り出していかなくてはならない。
待っているだけじゃあ、仕事は来ないんです。
資格は取ったら先生にはなれる。
だけど、生徒さんが来てくれなければ、名前だけでしかない。
どうやったら来てくれるのか?
真剣に取り組むことが必要です。
その時に大事なのは、すべては自分で責任を取るという姿勢。
自分で考えて、
自分で決めて、
自分で行動していく。
うまくいかないことを、人のせいにしたり、環境のせいにしない。
例えば、
「同じ資格を持っている先生が多すぎるから、生徒さんが集まらない。」とか、
「派手に活動している先生がいるから、私のところには来ない。」とか人のせいにする方がいます。
「田舎だから、高額な講座なんて来ない。」とか、
「不況だから無理。」とか、環境のせいにする方がいます。
こういう方は、経営者に向きません。
なぜなら人のせいにしていたら、それ以上状況を変えることができないから。
だからしょうがないね。辞めようってことになります。
自分で変えられないものは受け入れ、自分で変えられるところをやっていくこと。
例えば、同じ資格の先生が多いなら、その中で選ばれるにはどうしたらいいんだろう?
そういうふうに考えて、行動していくことが必要です。
環境だってそうです。
田舎だったら、どうしよう?
田舎でも、その値段を出してもいいと思ってもらうための努力をする。
違う地域で教えてみる。
いろんなアイディアが湧くはず。
その中から、なにかをやっていかなくては状況は変わりません。
2つめは先生としての適性。
先生は、「生徒さんに気づいてもらう、できるようになってもらう。」ことが仕事です。
だから、相手にわかるように伝えることが大事。
言葉遣い。
わかるようにする工夫。
いろいろあると思います。
でも、一番大事だなあと思うのは、相手を見ること。
同じように伝えても、わかる人と、わからない人がいます。
また、人によって、わかっていないところは違います。
だから、生徒さんを見て、どこがわかっていて、わからないのかを知ること。
そして、ちょっと良くなるためには、どこをお伝えするといいかを考えること。
その方にわかるように伝えること。
わからないようだったら、違うやり方で伝えてみること。
自分でいっぱいいっぱいで、人のことを見られない人は難しいかなと思います。
そのために、常に自分をケアすることも大事。
まとめると、私が思う先生の適性はこの2つです。
すべての責任は自分で取ることができる人。
相手をしっかりと見て、わかってもらえる人であること。
でもね。これ、最初からできなくても大丈夫。
最初のうちは、自分が人や環境のせいにしているのも気づかないかもしれません。
そこから、自分で責任を取るということはどういうことか、学んでいけばいい。
「相手を見る」も、講座の中、のみならず他の日常でも訓練することができます。
学んで、やっていこうという姿勢があるなら、適性は付いてくると思います。
ですが、学ぶ気もない、努力する気もないなら、難しい。
できているかできていないかさえ、周りの人は言いません。
結局は、生徒さんが集まって、喜んでくれているのか、その結果に現れるだけ。
先生として食べていきたいと思うなら、やっていこう。
それも自分で決めるしかないのです。